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ヤマレコ

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カテゴリー「10 群馬県」の34件の記事

記憶の旅 - 草津

草津と草津白根山にはずっと近寄らないようにしていた。あえて避けてたわけではないけど、無意識的に心の中で遠ざけていたのだと思う。数年前に群馬の山村を訪ね回っていたときにも、すぐ近くまでは何度も行ったのに、草津に寄ることはなかった。

すでに遠い昔のうっすらとした記憶になっているとはいえ、よかったあのころの想い出がそこには残っているから、なんとなく近寄り難い、または、なんとなくそっとそのままにしておこうって気持ちが、心の奥深くのどこかにあったのだろう。

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静かな静かな大沼周辺観光 - 赤城山

赤城山といえば、赤城の山も今宵限りの国定忠治や、からっ風の吹いてくる場所として、それなりに名が知られています。

車でカルデラまでアクセスできることもあり、それなりに観光地化されてるだろなと想像していました。

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温泉都市計画第一号の地

 急な石段の両側に旅館や土産物屋が軒を連ねている。この石段街は伊香保温泉を代表する景観である。

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 伊香保温泉の歴史は古く、万葉集にも伊香保を歌った歌が収められているという。

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 伊香保が温泉街として整備されたのは戦国時代である。長篠の戦いで織田・徳川連合軍に敗れた武田勝頼が、負傷兵の療養のために真田氏に命じて温泉街を整備させた。

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 伊香保を象徴する石段もこの時に造られた。

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 これが国内における最初の温泉都市計画である。

 
 

うどんを食べに水沢へ

 坂東三十三箇所第十六番札所五徳山水澤寺、通称水沢観音へ。

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 水沢観音の門前には、水沢うどんを食べさせる店が並んでいる。どこの店も店前に大駐車場があり、造りも新しく、地元向けの店ではなさそうである。もともと、水沢観音の参拝客に地粉で打ったうどんをふるまったのが、水沢うどんの起源である。

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 上州の田舎うどんとは異なり、適度な腰の上品なうどんであった。かけうどんは、うどんがやわらかくなり過ぎるので、食べるなら、もりにしておいた方がいいだろう。

 
 

宿場町から温泉町へ

 猿ヶ京温泉へ。

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 かつては三国街道の宿場町だった猿ヶ京であるが、現在は温泉町である。

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 が、温泉町としてもあまり賑わっているようには感じられない。

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 温泉町の裏に回ると、古い民家が残っていた。

 
 

江戸時代の養蚕民家

 群馬県吾妻郡中之条町にある富沢家住宅。江戸中期の建築と推定される大型の養蚕民家である。国の重要文化財にも指定されているのだが、玄関は開けっ放しで、記帳さえすれば自由に内部を見学できる。

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 かつては二階で養蚕がおこなわれていた。光がよく入るように平側の屋根が切り取られて兜造りになっている。壁はきれいに補修されていたが、現在は屋根の補修中であった。よく見ると茅葺が透けているところもあり、ブルーシートがかけてなければ雨漏りするだろう。

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 富沢家は運送業も営んでいたようであるが、山の中にポツンとこのような大規模な民家が存在していたのは不思議である。

 富沢家があるのは、二件の民家があるだけの集落とは呼べないような山深い地である。

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 おばあさんがひとり、家の前の小さな畑で仕事をしているのを見かけた。帰りがけにもうひとり、坂道を登ってくる腰の曲がったおばあさんとすれちがった。二件の家それぞれに住んでいる方々なのだろうか。はたしてご主人はいらっしゃるのだろうか。お子さんはすでにここには住んではいないであろう。山を下ってやっと峠道にでるようなところである。日々のちょっとした買い物にも難儀をするのではないか。体調が悪くなっても病院ははるかに遠い。それでもこの地を離れたくないのであろう。この地に嫁ぎ、この地で生き続ける、こうした方々が十分な医療や行政サービスを受けられないのは、真に日本の貧しき点である。

 そして、その世代の方々がいなくなった後には、無数の放棄された集落が残るのみである。

 
 

峠の手前の宿場

 高崎と寺泊を結ぶ三国街道の関東側の最後の宿場が永井宿である。ここから三国峠を超えて越後へと至る、峠の手前の宿場町だ。

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 宿場内の道がすでに急坂である。この坂の両側にかつては旅籠が並んでいた。

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 坂を上りきったところが鍵曲がりになっていて、そこに本陣跡がある。

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 本陣の建物は昭和の初めに解体されてしまったが、その先には江戸時代の旅籠が、いまでも旅館を営んでいる。

 
 

たくみの里の中の農村

 須川宿から1kmほど離れた東峰地区へ。

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 須川宿が「たくみの里」の中心だが、周辺の集落も「たくみの里」の一部に含まれている。

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 東峰地区は農村であり、須川宿のようには観光地として整備されていない。

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 観光スポットを目的として訪問した観光客も、自然に農村の雰囲気を味わうことができる。

 
 

たくみの里で町おこし

 高崎で中山道から枝分かれし、三国峠を超えて新潟県寺泊へ至る三国街道、かつては江戸と佐渡を結ぶ主要な街道であった。

 この三国街道の宿場町のひとつである須川宿へ。

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 国道が集落を大きく離れて通ったため、須川は寂れてしまっていたが、観光地として整備され、いまでは「たくみの里」としてそこそこの観光客が訪れる場所になっている。

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 広々とした街道沿いに、周囲に大きな空間を取ったセガイ造り民家が点在している。多くの民家は、もの造りの家として観光スポットになっていて、徒歩やレンタルサイクルでそれらを巡るのである。

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 観光地として整備される前の須川宿の写真を見ると、街道の中央に水路が流れていた。車社会の現代では不便なのはわかるけど、江戸時代の宿場町の名残りは、できれば残しておいてほしかったものである。

 
 

巨大養蚕民家集落

 現代風の店舗が並ぶ国道から脇道へそれ、小山を回り込むと、その集落は忽然と出現する。

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 群馬県北部、旧新治村の箕輪。国道から数百メートルしか離れておらず、旧新治村役場のすぐ裏手なのだが、小山の裏側にあるため、集落の目の前に出るまでその姿が見えない。

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 外部から集落が見えないということは、集落内からも外部の世界が見えないということであり、外の世界とは隔絶された異空間である。

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 ここには巨大な養蚕民家が密集して存在する。

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 妻側を兜造りにし、平側も切り上げた民家、三階建てでその上に高窓のある城郭のような民家と、その形態も様々である。

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 箕輪では昭和の終わりごろまで養蚕が続けられていた。そのためか、保全の行き届いた建物が多い。

 
 

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