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ヤマレコ

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2008年7月の14件の記事

栄華の名残

 足尾銅山。鉱毒事件であまりにも有名なところである。

 本山精錬所付近は以前に訪れたことがあるのだが、足尾駅前に古河掛水倶楽部という銅山の迎賓館があると知り、再び足尾を訪れた。

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 足尾駅周辺は、年配者にはなつかしい昭和の風情の小集落である。銅山で働く人たちの社宅も、時代に取り残されひっそりとしているが、人が住み生活しているようすである。

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 テニスコートもある。いまでも使われることがあるのだろうか。

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 古河掛水倶楽部は明治期の木造洋館である。当時としては瀟洒な建物であったことだろう。

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 過去の繁栄も激動もすべてを忘れて、足尾はまさにいま眠りにつくかのごとくであった。

 
 

ノコギリ屋根の街

 群馬県の桐生市を訪れた第一の理由は、うなぎだったわけだが、第二の理由はこの看板のある酒屋さんの写真を撮りたかったからである。

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 こういった古い建物や古い看板が大好きであるし、この看板の会社に少々関係もあるしで訪れてみたかったのだ。残念ながらこちらも月曜定休日であった。できれば天気のいい日に青空バックで撮り直したい。

 桐生市は思いのほか広い。駅周辺は、まぁ言ってしまえば、よくあるさびれた地方都市なのだが、駅からはなれた、本町一丁目辺りには古い町並みが残っている。

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 この辺りを歩いていると、ノコギリ屋根と呼ばれる特徴のある屋根をもつ建物を次々と発見する。かつては絹織物工場であった建物であり、北側からの光を取り入れるために、このような形の屋根になっている。

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 以前は栄えた織物の町も、今では往時ほどの勢いはないのかもしれない。ノコギリ屋根の工場も空き家が目立つ。他業種の店舗として生まれ変わり活躍しているものも多いようだ。しかし、これはこれで過去の遺産の有効な活用である。市内に200以上もあるといわれる、かつての隆盛の象徴を、できる限り残していってもらいたいものである。

 今回は市北部を中心に散策したが、東部にもノコギリ屋根の工場が多く残っているらしい。次回訪れたときにはこちら方面にもぜひ足を延ばしてみるつもりである。

 
 

うなぎ

 もうすぐ土用の丑の日であるし、最近はスーパーで気軽に買って食べなくなったしで、老舗の有名店でうなぎを食べることにした。伝統と趣きを重視して選んだ店は、坂口安吾も通っていたという桐生の泉新。

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 到着してから知ったのだが月曜は定休日だそうな。店に人がいたので、まだお昼前だしこれから店を開けるのかもしれないと淡い期待を持ちつついちおう確認してみたが、やはり休みだそうだ。祝日なのに! それに土用の丑の日直前なのに! いやこれからいそがしいから今日のところは休んだのだろうか。車で三時間もかけて行ったんだけど食べれませんでした。これから行かれる方は注意してください。月曜は定休日です。祝祭日でも休みのようです。月曜が土用の丑の日だったらどうなのでしょうか? それでも休みでしょうか? その時はお店にご確認ください。

 
 ところで話は変わりますが、今年の春くらいからファーストフード店でうな丼を取り扱っているところが増えてますよね。牛丼屋やカレー屋でうな丼を食べる気にはなかなかならないのですが、これってやはり、うなぎが売れなくてあまっているからなんでしょうね。おそらく安く仕入れることができるのでしょう。スーパーでは嘘でも産地を記載しなければなりませんが、外食ならその必要もありませんですから。

 中国産うなぎも日本産うなぎも全くの同一種でDNA鑑定しても区別できないことは知っていますし、うなぎのおいしさは素材ではなく料理の腕前やどれだけの手間をかけるかで決まることも知っていますが、できるだけチャイナフリーの私には、気分的にますますうなぎが遠のいていきます。

 
 

古代蓮の里 再び

 シーズン最終盤に再び行田市の古代蓮の里へ訪れる機会があった。

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 この日はあいにくの曇り空であったが、早朝から多くの人でにぎわっていた。曇り空であれば光が均一になり、それはそれでいいものである。

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 時おり雲が切れて日の光が降り注ぐ。やはり蓮の花は逆光で光が透けているのが美しい。

 
 

ゼリーフライと肉汁うどん

 行田市名物ゼリーフライ。名前だけではどんな食べ物か想像がつかない。ゼリーをフライにするならチャレンジャーである。

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 ゼリーフライをひとことで説明すれば、おからコロッケである。ころもはついていない。行田市にはフライという別の名物もあり、こちらはゼリーフライとは全く似ても似つかないお好み焼きともんじゃ焼きの中間のようなものである。

 
 道の駅吉見で肉汁うどんを食べる。肉汁うどんといえば東村山の食べ物。東京多摩地区や埼玉南部で食べられるものと思っていたが、埼玉県北部の吉見にもあった。実は私は肉汁うどんマニアでいろいろと食べ歩き、といっても仕事で外回りの昼食にだが、しているのだが、だからこそ肉汁うどん中心エリアからはずれた吉見のうどんには期待できなかった。気が進まなかったが、ここの食堂はうどんしかない。店名もなく「うどん」としか書かれていなかった。

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 見た目はまさに武蔵野肉汁うどん。麺にうっすらと色がついているところも同じだ。ひと口食べて、麺がやわらかすぎると思った。肉汁うどんといえば麺の噛みごたえがじゅうぶんでなければいけない。が、食べつづけていくうちに、この麺のおいしさがわかってきた。やわらかくゆでてあるが、こしはあり、噛むと麺の味と香りがする。地粉をつかっているそうだ。やわらかいぶんつるつるいけてしまう。麺類は麺自体の味がすべてであると信じる私にも非常に満足できる麺であった。あなどれないな、道の駅。

 お昼時であったのだが、地元の人らしき方々も次々とやってくる。まわりに店がないから…ではなくて、やはり味がいいからであろう。

 
 

幸魂の国

 埼玉県の行田市に前玉神社というところがある。小さいけれど万葉集にもその名が記されている由緒ある神社である。ここが埼玉県名発祥の地だ。神の四魂のひとつ幸魂(さちみたま・さきみたま・さきたま)が転じて前玉(さきたま)になり埼玉(さきたま)となった。現在でもこのあたりの住所は埼玉県行田市大字埼玉である。

 行田市というのは埼玉県の北のはずれの、群馬県との県境に位置しており、県名発祥の地としてはいささか偏った場所にあると言わざるを得ない。埼玉県南部の浦和市、大宮市、与野市の三市が合併する時にも「埼玉市」ではなく「さいたま市」になってしまった。「埼玉市」となっていれば由来としてはおかしいが、ひらがなにすればいいというわけでもあるまい。さらに埼玉県西部はもともとは入間県であり、こうなるともはや由来も由緒もあったものではない。

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 前玉神社の周辺には「さきたま古墳群」がある。前玉神社も古墳の頂上にある神社なのだ。県名発祥の地でもあり、古代に栄えた土地であったのだろう。その価値は十分理解しているつもりだ。だがしかし、世界遺産に登録は少々厳しいのではないでしょうか。

 
 行田市から南へ十数キロ、吉見町には吉見百穴という先史時代の遺跡がある。かつての有力者の墳墓であったといわれる横穴が、岩山に規則的に開いているのだ。その数は100を大きく超えて200以上あるらしい。

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 埼玉県北部、いまではさえないところかもしれないが、かつては有力な土地であったのだろう。

 
 

古代蓮の里

 埼玉県行田市、古代蓮の里。ここの古代蓮は、40年近く前に、近くのゴミ焼却場建設時に地中深くに眠っていた種子が掘り返され、工事でできた穴に水がたまってできた池で自然に発芽したものであるそうだ。その焼却場には今でも古代蓮自生地があるが、保護のため入場禁止になっていました。

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 蓮の花の開花は朝が早い。早朝開き始めて昼には閉じてしまう。早起きして6時ごろには到着したのだが、すでに写真愛好家の皆様方が多数いらっしゃいまして、いい位置には三脚立てられちゃってました。

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 手持ちではつらいので、久しぶりに三脚立てて花のマクロ撮影なぞをやりました。雲台のつかいづらさに閉口。

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  古代蓮の里 再びへ

 
 

20年ぶりにミソカツ丼を食べる

 高校生のころは大好きでよく食べたものです、ミソカツ。名古屋では喫茶店でもメニューにミソカツ定食があるくらいポピュラーな食べ物ですが、東京へ出てきてからはさっぱり食べる機会がありませんでした。

 東名高速の浜名湖SAでメニューにミソカツを発見し、なつかしさのあまり、うな重をやめて食べてしまいました。高校卒業以来ですから、実に約20年とちょっとぶりです。

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 が、ひと口食べて愕然…。甘い…、甘すぎます。もともと甘い味付けの食べ物ではありますが、まるでお菓子のように甘く感じます。

 思えばこの約20年間、東南アジアやインドなど激辛料理地域に長期滞在し、もともと辛いもの好きだったのが、さらにエスカレートしてしまい、いまでは激辛刺激なしでは物足りない体質になってしまったせいでしょうか。

 せめてもう少し甘さ控えめだったらおいしくいただけたかもしれませんが、ごはんとキャベツとトンカツに、砂糖たっぷりのソースを混ぜて食べるのですから違和感がありすぎます。

 私もかつては大好きな食べ物でしたし、決してミソカツ自体を否定するわけではありませんが、外国人にはあまりおすすめしないほうがいいかと思います。

 
 

足助

 愛知県豊田市足助町へ。

 足助を訪れる人のほとんどは香嵐渓が目的であろう。香嵐渓といえば紅葉が有名らしいが、中部地方の都市で育った私には、やはりヘビセンターである。子どものころにくり返しくり返しハブとマングースの戦いのCMを見せられ、コウランケイという独特の音の響きとともに脳に刷り込まれてしまったのだ。

 だが今回は香嵐渓ではなく足助の町並み散策が目的である。足助の町並みの写真を見て行ってみたいと思ったのだ。それにヘビセンターは数年前に閉館してしまっているし。

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 漆喰の白が印象的な町並みである。

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 足助の町並みといえば必ず取り上げられる有名なマンリン書店。ここの写真を見て足助を訪れてみようと思った。

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 マンリン書店の横の路地。

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 愛知県ではやはりこれでしょう。私も大好きです。

 
 

大正村

 岐阜県恵那市明智町、それがこの町の行政上の名称である。しかしここは自称「日本大正村」、いまやこちらの名前のほうがよく知られているだろう。明治村や昭和村のようなテーマパークではなく、町全体が大正村と勝手に名乗っているわけである。

 さすがにひとつの町にテーマパーク並みの統一感を求めるのは無理がある。大正時代の建築といって思い浮かべるような町並みは、大正村役場周辺ぐらいであろうか。

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 村役場周辺以外は、いつの時代と特定できない古い町並みの中に、大正時代を彷彿とさせるような建物が散在している。別に大正にこだわらなくても落ち着いたいい町並みである。

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 これは大正村の観光地図にものっている「渡り廊下のある家」である。もちろん一般住宅であり住人の方もいらっしゃる。ところでこの渡り廊下は合法なのでしょうか。道路が私道であれば問題ないと思いますが…。

 
 

女城主の町

 戦国時代に女が城主であったという岩村城。その城下町が昔ながらの佇まいで残っている。

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 レトロな薬局は現役である。

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 家々の軒先に青い暖簾がかかっており、それに女性の名前が記されている。聞けば、女城主にちなんで、各々の家の女城主の名を記してあるのだそうだ。


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 やはり岩村では現代の家庭でも女が城主なのであろうか。

 
 

日本一の田園風景

 ←日本一の田園風景、という案内板を見て即座に車のハンドルを切った。日本一なら見に行ってみよう。時間はたっぷりあるし。

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 そこは、岐阜県の富田というところであった。農村の田園風景が一面に広がる。田舎によくある風景といえばいえなくもないし、なにが日本一なのと、つっこめばつっこめるかもしれない。が、どこか心が落ち着く風景でもある。丹念に歩き回れば写真に写したい多くのものをみつけることができそうである。

クリックすると拡大します

 村の展望台から富田地区を見渡した。

 
 

木曽路の宿場町 その2

 木曽路の宿場町ではもっとも有名であろう、妻籠と馬籠へ。

 妻籠を訪れたのは夕暮れであった。沈み行く夕日が江戸時代の木造家屋を美しく橙色に染めていた。

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 昼間はにぎわう観光の街にも、夜の帳がしっとりと下りつつある時刻。すべての物を美しくみせる。

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 翌早朝、馬籠へ

 急峻な斜面に石畳の美しい町である。

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 ただ惜しむらくは、馬籠の町は少々饒舌に過ぎるようだ。早朝まだ町が寝静まっているころに散策しても、あふれる文字の洪水が眼に入る。夕暮れのしっとりとおちついた妻籠のあとで訪れたので、特に強くそれが感じられたのかもしれない。

 
 

木曽路の宿場町

 奈良井へ。江戸時代の宿場町がほぼ完全にといってもいい状態で残っている。中仙道一の難所、鳥居峠を控えているため、規模の大きな宿場町である。

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 街道沿いにいくつもの水場がある。無尽蔵に流れ続ける水。アフリカ人に見せてあげたい。

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 当然ではあるが、現在は宿場町としては機能していない。しかし観光で訪れる人は多いようだ。この日も晴天の週末の午後であったこともあり、宿場町は江戸時代のにぎわいの片鱗をみせていた。

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 観光客相手の店ばかりが目立つが、一般商店もあり住居として使われているらしき建物もある。

 
 

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