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ヤマレコ

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2009年4月の14件の記事

住みなれた町をはなれて

 新しい家へ居を移す。

 今まで住んでいた部屋とその前に住んでいた部屋は同じ市内だったので、通算すればずいぶん長い間、同一市内に住んでいたことになる。

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 地に足のついた生活をしようとして部屋を借り、結婚し、手狭になってきたので少し広いところへ引っ越し、そしてついに自分の家を購入することになった。順調に来ていると言えば言えるかもしれない。

 

 富士山が見える部屋から、夜景のきれいな部屋へ。

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 さまざまな思い出のある地をはなれるのはさみしくもあるが、いまは新天地への期待を大きく持ちたい。

 といっても、となりの市へ移るだけなのだが…。

 
 

新居

 新居のリホームが完了した。

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 購入時と比べると、まるで別の部屋である。こんなにも見違えるものなのか。テレビ番組でやってるやつもウソではないな。

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 新築かと思ってしまうが、確かに内装は大部分が新品である。

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 外観は古い集合住宅なんですけどね。

 
 リホーム前の様子はこちらから

 
 

養蚕農家

 群馬は養蚕の盛んであった土地で、養蚕農家の家屋があちこちに残っている。

 だからこそ富岡製糸場もこの地に建設されたのである。明治時代には群馬県内の半分以上の世帯が養蚕農家であった。

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 化学繊維の登場以降、世界的に生糸の需要は縮小しており、また輸入物にも押されて、国産生糸の生産量は激減している。

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 それでもいまだ群馬県は生糸の生産量で国内首位である。しかし生産量は毎年減少を続け、このままでは遠くない将来に養蚕農家も消滅してしまうかもしれない。

 
 

花咲く城下町

 群馬県甘楽郡甘楽町、城下町の町並みで知られる小幡へ。

 昨年は新緑の季節に訪れ、今年は桜咲く頃に再訪することができた。

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 桜は、残念ながら満開にはあと一息であったが、町並みに艶やかな彩を添えていた。

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 前回訪れたのは午前中で、主要な建物がすべて西向きの小幡ではうまく写真が撮れなかったため、今回は日が傾いてから到着するようにした。

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 いくつかのグループが桜の木の下で花見をしていた。江戸時代の町並みの下で宴会するなんて、うらやましい限りである。

 
 

ネギとコンニャクの町

 群馬県下仁田、ネギとコンニャクで知られる町である。

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 道路沿いには観光客相手にネギやコンニャクを売る店が何軒もあるし、町の中心部には立派な蔵を持つ蒟蒻屋もある。

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 それだけではなく、下仁田は信州姫街道の宿場町であり、この地方の主要な町でもあった。

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 現代の下仁田はただの寂れた地方の町かもしれないが、それでも山中の集落を訪ねまわった後でもどってみると、町の規模の大きさとにぎわいを感じる。

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 かつては今と比較にならないほど繁栄していたのだが、移動手段の効率化が図られるにつれ、都市機能も一極集中化していき、それに取り残された町は、観光など他に活路を見出すか、静かに寂れていくのであろう。

 
 

行き止まり

 仲庭を過ぎてさらに行くと、小倉、道場の集落に行き着く。

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 ここは行き止まりの集落である。ここから先どこかへ向かう道はない。

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 通過する旅人はなく、ここを目的地とする人のみが訪れるところである。そしてそのような人はほとんどいないはずだ。

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 籠を背負った老人が犬とともに山へ入っていった。そんな現代離れしたところであった。

 
 

急峻な土地に暮らす

 砥沢の先の羽根沢で分岐した道を星尾川に沿って北上し、星尾地区の仲庭集落へ。

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 石垣を積み上げた段々畑の上に民家が建ち、要塞のようである。

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 狭い土地を有効活用するための勤勉さがもたらした集落風景である。

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 養蚕の盛んであった土地であり、セガイ造りの民家が多く残っていた。

 
 

海から最も遠い集落

 勧能で二手に分かれた道のうち、もう一方の道を行くと馬坂集落にたどり着く。

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 ここは行政区画的には長野県に当たるのかもしれないが、文化的・経済的には南牧村の一部である。そして最奥の集落のひとつである。

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 山深い地である。この近くの山中に日本でもっとも海から遠い地点というのがある。馬坂は、国内でもっとも海から離れた集落のひとつであろう。

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 川と山に挟まれた、わずかの土地に住み耕して暮らしている。有効利用が可能な土地はあまりない。

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 背後の急斜面も段々畑として利用されている。

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 こういうところで生まれ育ち、あるいは嫁いできて一生を終える人々と、私のような根無し草の人間とでは、同じ日本人でも思考や感情が大きく違うの であろう。どのようなことを考えて日々を過ごしてきたのだろうか。まさにずっしりと地に足のついた生活にあこがれもするが、別の暮らしを知ってしまったい ま、後戻りするのは恐ろしくもある。

 
 

終わりに向かう

 勧能で二手に分かれた道の片方の終点が熊倉集落である。自動車道はここで終わり、徒歩でのみ余地峠を超えて信州へと行くことができる。

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 まさに南牧村最奥の集落である。

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 平らな土地は少なく、斜面に民家がへばりつくようにして建っている。

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 川沿いのわずかな平地には蔵付きの民家が並んでいる。

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 ほとんどが空き家で、朽ち果てつつある建物が多い。

 ここもそれほど遠くはない将来に、無人の集落となってしまうのであろう。

 
 

最奥の中心地

 下仁田から来る一日数本のバス(といってもワゴン車だが)の終点が勧能集落である。

 勧能で道は二手に分かれ、ここから先はさらに険しくなり、峠を超えて信州へと至る。

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 勧能は、実に大きな集落である。川沿いに延々と町並みがつづく。このような山深い地に、こんな大規模な集落があるとは予想外であった。

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 山奥の集落から山を下ってくると最初に出会う「街」である。

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 かつての街道は集落の中を通っている。

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 大きく、美しい集落であった。

 
 

さらに奥へ

 砥沢を過ぎ、南牧村のさらに奥へと向かう。

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 砥沢の少し先の羽根沢集落には、こんな山奥に不釣り合いな邸宅があった。

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 かつての繁栄の遺産である。

 
 

群馬の山奥

 群馬県南牧村は信州との境の山脈の東側に位置する群馬県最奥の村である。

 群馬の山奥といえば、それはもうかなりの山深い地である。日本に残された最後の秘境といってもいい。そして日本一高齢化の村でもある。

 そんな南牧村の最奥部に点在する集落を訪ねまわった。

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 下仁田で信州姫街道から分岐し、南牧村をぬけて峠を超え、信州へ至る街道沿いを行く。下仁田を出てしばらくは道幅もそれなりに広く、集落中心部を 迂回するようにバイパス化されている部分もあるが、さらに山深い地に入ってしばらくすると、突然道幅が狭くなり、通りの両側に民家が迫る集落に入ってい く。

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 ここが砥沢である。集落を迂回する道もなく、古の街道そのままの道幅で現在に残る。集落中央を走る街道は、川の流れに沿って曲がりくねっている。

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 通りの両側には、出桁セガイ造りの養蚕民家が軒を連ねる。

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 砥沢は、かつては良質の砥石の産地であり、また養蚕や蒟蒻栽培で繁栄した。信州から峠を超えて運ばれる物産の集積地としてもにぎわった。

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 砥石の鉱脈が付き、物資の輸送は鉄道に取って代わられると、砥沢も急速に衰退していく。

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 そして、再開発されるようなこともなく、当時の姿を今にとどめているのだ。

 
 

姫街道

 上州姫街道の宿場町で、宿場の面影を今に残す町のひとつ、本宿へ。

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 姫街道と呼ばれる街道はいくつかあるが、正式名称ではなく近代の俗称である。本街道の難所を迂回する脇往還を指して言うことが多いが、東海道に対して中山道をそう呼ぶこともある。いずれも主要な街道に対する脇街道の意味である。

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 本街道の難所や関所での厳しい女人取締りを避けて女性が旅行することが多いため姫街道と呼ばれるようになったという説や、主要な道を男道、脇道を女道とする発想からきているという説もあるようだ。また実際に「姫」が通行したところもある。

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 埼玉県の本庄宿で中仙道から分岐して、群馬県南部を通過し、長野県で再び中山道に合流する下仁田道も姫街道のひとつである。他の姫街道と区別するため上州姫街道と呼ばれることが多い。

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 かつては往来の多い宿場町だったのであろうが、本宿もやはり他の多くの町と同様に過疎化の波には逆らえないようである。

 
 

蔵の町で見かけた、ちょっと気になる建築物

 いくつかの蔵造りの町並みを訪ねたとき、伝統的な建築物ではなく最近の物件で気になるものを見てしまった。

 見て見ぬ振りをして通り過ぎようとしても、そうすることができず、つい足を止め見入ってしまい、写真に収めてしまう。

 なぜこのような建築物が建てられてしまうのか。蔵造りの町並みに合った現代建築だと、設計者は思っているのだろうか。それとも代々受け継がれてきた、蔵の町に住む人々の血がなせる業なのであろうか。

 まずは長野県須坂市の集合住宅である。

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 屋根というものは、どうしても斜めになっていないといけないのだろうか。飛び出ている部分はどんな用途があるのだろうか。これだけ高い建物である、景観を意識してのことではないはずだ。やはり血であろうか。

 つづいて福島県喜多方市。

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 これはさらに意味不明である。用途が想像できない。デザイン性を重視した結果なのであろうか。

 こちらも喜多方市内のNTT前にある公衆電話である。

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 NTTの建物自体も蔵造り風建築である。NTTや郵便局などは、地域の景観を意識した建物であることが多い。意識はしているのだが、総じてすべっているものが多いのも事実である。

 最後に川越から。重厚な蔵造りの町並みの先にそびえる法律事務所である。

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 これは…目立つのでランドマークにはなる。

 決してこのような物件を探して歩いているわけではない。いつも歴史と情緒にあふれた伝統的町並みを探訪しているのである。にもかかわらず、これらの建築物は、その圧倒的存在感で私の足を止めるのであった。

 
 

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