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ヤマレコ

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2009年5月の11件の記事

群馬の養蚕集落

 群馬県内には無数の養蚕集落がある。というか、すべてが養蚕集落であったといってもいいくらいの存在率である。

Higasi3

 山間部の集落には必ず養蚕農家の家屋が残っているし、群馬県内は大部分が山間部である。主要道を外れ、闇雲に山の中を走っていると、よく養蚕集落に出会う。

Higasi2

 長野原町内を走っていて偶然この集落に出会った。

Higasi1

 ここは横壁地区というらしい。

Nakamura1

 山道の行き止まりが東集落であり、その少し手前が中村集落である。

Nakamura2

 急峻な斜面に集落が形成されている。

Nakamura3

 このあたりはダム建設でもぎりぎり水没しない地区のようである。

 
 

ダムの建設現場

 八ッ場ダムは、建設期間が超長期化しているダムのひとつである。

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 川原湯温泉や吾妻峡が水没することもあって、通常のダム建設反対運動よりも激しい反対があったであろう。

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 長い年月を経て、現在はダム建設に着工している。しかし50年以上前のダム計画が、現在でも有用であるのだろうか。

Dam4

 長野原町はいま大規模建設現場となっている。

Dam3

 ダム完成にともない、強い雨が降ると通行止めになるような国道は立派なバイパスに変わり、さびれた温泉街も近代設備に変わる。

 ダムの建設に反対をするわけではないが、失ったものは二度とはもどらない。

 
 

湖に沈みゆく定め

 八ッ場ダム建設により水没することになる川原湯温泉へ。

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 一時はさびれていたようだが、水没が近づくいま、別れを惜しむ人々で、いくばくかの賑わいをみせているようだ。

Kawaharayu2

 ずいぶん前に一度訪れたことがあるが、やまた旅館や山本館の犬がいまだ健在だったことがうれしかった。

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 現在の温泉街よりも高度の高い場所に近代的な新温泉街を造成し、ダムの完成とともにそこへ移転することになる。そうして源頼朝が鷹狩りの最中に発見したといわれる源泉とともに、この温泉街も湖底へ沈む。

 
 

六合村

 群馬県六合村、「くにむら」と読む。

 小雨、赤岩、生須、太子、日影、入山の六つの村が合わさったので「六合村」なのだが、「六合」を「クニ」とする無理な読み方は古事記や日本書紀から来ているらしい。天地と東西南北の六つを合わせたものとは「国」を表しているため、「クニ」と読むようである。意味的にも村名にふさわしい言葉だ。ちなみに、「くにむら」で変換しても「くに」で変換しても、ちゃんと「六合村」「六合」と変換されました。

 六合村の合併は明治時代の話である。現在の合併ブームとは一切関係がなく、町村制の施行にともなうできごとなのだ。記紀の言葉を村名に用いた明治の時代と比べ、平仮名やカタカナの市町村名がまかり通る現代は、うすらさみしい気分にさせられる。

Hikage

 六合村のどの集落も、かつては養蚕で繁栄したのであろう。立派な養蚕農家の建物が多く見受けられる。

Kosame2

 1階は住居で、2階で養蚕をおこなったため、出し入れが便利なように2階が道路に面している家々も多い。

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 六合村の中心地は小雨である。信号もあるし村役場もある。

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 診療所もある。全国の過疎地は急速に超高齢化しているのに、医療サービスはあまりに不十分である。

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 こうした山間の村々が、どんどんと限界集落となっていき、あとはもう消滅するままに放置されているのは、日本の貧しさである。

 
 

重伝建の養蚕集落

 群馬県に数多く残る養蚕集落の中で、重要伝統的建造物群保存地域に指定されている唯一の集落である六合村赤岩へ。

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 山腹にある美しい集落である。

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 このような養蚕集落は、群馬県内に無数に存在しているといってよい。

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 赤岩が他の集落と異なり重伝建に指定されているのは、村が赤岩を保存地区に指定しているからである。重伝建は、自治体が条例等で保存地区に指定し、国へ申請した上で、重要と思われる地区を国が指定したものなのだ。

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 とすれば、重伝建に指定されているのは現在のところ全国で83ヶ所だが、そもそも古い町並みの保存などには関心が無く、ただ崩れていくままに放置されている重要な町並みも数多いのであろう。

 
 

ブレイク間近か、燕三条ラーメン

 いまだ広く一般的には普及していないご当地ラーメンのなかで、今後のブレイクが期待される最有力候補のひとつといわれる燕三条ラーメンを食しに新潟県燕市へ。

 多量の背油にみじん切りの玉ネギ、見た目からしてインパクト大である。

Sannjyou

 スープは和風出汁でコクがあり、玉ネギのさっぱり感も加わって、見た目ほどくどくはなく、あっさりとしている。

 麺は太麺なのだが、コシがあまりなくやわらかかった。おいしい麺なのだが、もうすこしコシのあるほうが好みではある。

 
 

現代雁木

 新潟県小千谷市へ。

 ここも雪国であり雁木もあるのだが、木製のものはあまり残っていなかった。

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 木製でなければ雁木とはいえないかもしれないが、これも現代の雁木である。

Odiya2

 どちらかといえばアーケードといったほうがしっくりするのかもしれないが…。

 
 

雁木と油揚げの町 その2油揚げ編

 雁木造りの町並みと並ぶ栃尾の名産品がジャンボ油揚げである。

 市内の豆腐屋で販売しているが、道の駅では揚げたてを食べることができる。

Aburaage

 写真では大きさがわからないが、通常のものよりふたまわり大きく、そしてかなり分厚い。分厚いので内部が豆腐に近く、油揚げと厚揚げの中間くらいである。

 五枚入りを購入し、持ち帰ってさまざまな料理に試したが、やはり揚げたてに醤油をかけたのが最高に美味である。

 
 

雁木と油揚げの町 その1雁木編

 雪国のアーケードである雁木が良好な状態で残っている町のひとつ、新潟県の栃尾へ。

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 山々に囲まれた、小さな美しい町である。

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 山間部にあるので、冬の積雪もかなりのものなのだろう。

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 中越地方特有の妻入り家屋が多い。

 
 

佐渡への渡海場

 寺泊は、本州から佐渡ヶ島への最短の地である。

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 江戸時代には佐渡へ渡る港町として、出雲崎とともに繁栄した。出雲崎と同様に海岸沿いに延々と妻入りの町並みがつづく。

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 出雲崎が一本道の両側に町並みがつづいていたのに対して、寺泊は海岸と平行に幾本かの道があり、山側のほうが高度が高いため、それらの道が階段でつながっている。

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 現在は新潟、直江津と、寺泊から佐渡への航路が出ており、渡海場としての機能を失った出雲崎の衰退とは裏腹に、寺泊の町は港を中心ににぎわいをみせている。

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 日本海の良漁場に恵まれ、海の幸も豊かであり、海産物を販売する市場にも多くの人が訪れていた。

 
 

妻入りの町並み

 妻入りの町並みでというよりは、最近ではジェロの「海雪」で知られる出雲崎へ。

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 妻入りといっても、建築に特別関心がなければ、具体的にどういうものかよくわからないだろう。ひとことで言ってしまうと、妻側に出入口がある建物なのだが、では妻側というのはどちら側かというと、真ん中で山折りになっている屋根の、折り目と直角側である。ちなみに折り目と平行な方に出入口があるのは「平入り」である。

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 妻入りの家は三角屋根が強調されて、ペンションなどではメルヘンチック感が増強される。木造日本家屋ではメルヘンチックというわけにはいかないが…。

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 出雲崎は、この妻入りの町並みが海岸沿いに延々と4キロほどもつづくのである。

 江戸時代は幕府直轄の天領であり、佐渡からの金銀の荷揚げ港として繁栄を極めた。現在は静かな漁村であるが、どこまでもつづく町並みが往時の栄華を偲ばせる。

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 現代では海岸沿いに自動車道が走っているが、江戸時代は北国街道が出雲崎のメインストリートであり、この両側に妻入の家々が延々と軒を連ねていた。海と山にはさまれた細長い土地にあるため、街道沿いの海側の路地を入れば海へ、山側の路地を入れば山へ行き当たってしまう。

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 山側には何ヶ所も石段が設けられており、山の中腹の寺社へ通じている。

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 かつてのにぎわいも今は昔、現代の出雲崎は静かな漁村であった。

 
 

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