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ヤマレコ

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もうひとつの松山

 松山といえば、多くの人は四国の伊予松山を思い浮かべるだろう。道後温泉や夏目漱石の坊ちゃんなどで全国民的に知られている。

 しかし岡山県の山中にも松山があった。備中松山藩である。

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 幕末、藩主の板倉勝静は徳川慶喜の信頼厚く、老中筆頭として幕藩体制の建て直しに奔走する。松平定信の孫でもある板倉勝静には、維新後の新政府に恭順するという選択肢はなかった。戊辰戦争が起こると奥羽越列藩同盟の一員として函館まで転戦する。

 その間、備中松山藩の留守を預かる山田方谷は領民の命を最優先するため新政府に降伏する。もっとも、周りが新政府派ばかりの西国で、山中の小藩である備中松山藩がいくらがんばっても先は見えていただろう。

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 この後、備中松山藩は、まぎらわしいという理由で高梁藩と改名させられ、廃藩置県後は高梁県となる。

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 現在は岡山県の高梁市となっているが、当時の城だけは今でも松山城である。

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 山城の麓の石火矢は武家屋敷町であった。

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 その周りの本町一帯には商家が残っている。

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 町の周縁には城郭のような松蓮寺がある。

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 日本の歴史の表舞台に立つことはなかったが、小藩には小藩の歴史があるのだ。

 
 

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