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ヤマレコ

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近江商人発祥の地

 豊臣秀次がこの地を与えられ、琵琶湖の畔に八幡城を築き、その城下町を造成したのが、近江八幡の町の起こりである。

 城の周囲を取り囲むように、琵琶湖から続く八幡掘りを開削した。これは城の内堀であるとともに、当時の輸送の大動脈である琵琶湖を行き来する船を近江八幡に寄港させることで、経済の発展に寄与することになる。

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 秀次はまた、安土城下より商人を移住させ、楽市楽座の制を取り入れるなど、近江八幡の経済都市としての発展に力を注いだ。

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 八幡城が廃城となったのちも、近江八幡は在郷町として成長していくことになる。それはこの地より起こった近江商人の力によるものである。

 近江商人は、金に汚い、儲け主義、というような商人の悪いイメージからは程遠かったようだ。近江商人の商売の原則は、天下の需要と供給を調整することが商人の使命であり、それによるわずかなおこぼれをいただく、というものであり。売り手も、買い手も、世間も、全てが良かったと思えるような三方好しの商売をすることを絶対とした。
 これはいまで言う、企業の社会貢献や利益の社会への還元につながる精神である。また、近江商人は、複式簿記の発明、チェーン店制度の導入など、現代にも通用する改革を行っている。

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 近江商人は天秤棒を担いで全国を渡り歩き、各地に支店を設け、北海道の開拓や鎖国前は朱印船貿易を行う者もいたが、本宅または本店は近江八幡に置き続けた。そのため近江八幡の町は廃れることなく、また、近江商人の家訓どおりに華美になることもなく栄え続ける。

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 新町通りには近江商人の邸宅が続く町並みがよく残されている。間口いっぱいに主屋を建てず、わずかの前栽が設けられており、ここに植えられた松が、板塀越しに見越しの松として近江八幡の景観の特徴になっている。

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 明治時代、鉄道の開通時には、「汽車が通ると煙い」という理由で、鉄道の駅は町から遠く離れた地に建設された。そのため開発圧力から逃れ、当時の町並みを近江商人の精神とともに現代に残すこととなったのである。

 
 

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コメント

写真と文章で、自分の苦手な歴史を勉強させてもらってます。
行ったことのない場所ばかりなので
まだこんなにいいところがあるんだと、日本もまだまだ捨てたもんじゃないなあって思いがします。
この先もどんなところが見られるか
楽しみです。

 勉強なんてとんでもないですよ! いつも間違ったこと書いてるんじゃないかとひやひやしています。
 日本にはまだまだいいところがたくさんあるのはその通りだと思います。でも、写真は現実のいいところだけを切り取っているので、実際に見るとずいぶん雰囲気が違っていたりするかもしれません。
 今年は長い休み(といっても4~5日ですが…)が何回か取れたので、いろいろなところへ行けました。写真もブログ1ヵ月分以上たまっていますので、まだまだ書くことに困りそうもありません。

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