Twitter

ヤマレコ

  •  

LINK

« 生垣と庭園 | トップページ | 薩摩の国の力 »

麓集落

 戦国時代、薩摩・大隈・日向の三国を統一した島津氏は九州統一を目指して北進する。しかしそこで豊臣秀吉の九州征伐軍の軍門に下り、元の三国の所領を安堵されて、そこにおしとどまることになる。

Img_5948

 九州統一を目指して増加した武士団は鹿児島城下に収容しきれず、薩摩国内の各地に分散して居住することになる。山城を中核とし、その周囲に土地に根付いた土豪的な半農半士の家臣団が居住した。こうした集落を「麓」と呼ぶ。

 江戸時代には、こうした麓集落が100以上も存在し、そのうちのいくつかは現在でも往時をしのばせる町並みのまま残っている。

Img_5941

 入来はそうした麓集落のなかのひとつであり、中世・近世の町割りの原形を見ることができる。

Img_59592

 麓集落は、常時は農業に従事しているが、事が起これば戦に馳せ参じる武士の居住地である。その町並みは武家屋敷街のたたずまいだ。

Img_5960

 入来の町並みは、碁盤の目状の街路の両側に、石垣と生垣の武家屋敷の塀が整然と続く。

Img_5962

 入来の町は、重伝建に指定されてはいるが、観光地として賑わうこともなく、静寂に包まれた住宅街であった。

 
 

« 生垣と庭園 | トップページ | 薩摩の国の力 »

46 鹿児島県」カテゴリの記事

A. 城下町・陣屋町」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 麓集落:

« 生垣と庭園 | トップページ | 薩摩の国の力 »