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ヤマレコ

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この道の向こうに

 日本三景のひとつ松島を展望する四つの高台を松島四大観という。松島湾をぐるりと取り囲むように配された四大観のうち、もっとも東にあるのが、壮観と称される大高森である。

 有料道路の終点から一般道へ降り、大高森のある宮戸島を目指した。島といっても、本土とは細い川幅ほどの水路で隔てられただけであり、いまでは橋がかかっていて陸続きになっている。

 松島へ向かう分岐点を過ぎると周囲の景観が一変した。このあたりは石巻湾に面しており、津波の被害も甚大だったようだ。粉々になった家屋やなぎ倒された林が目につく。

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 大高森へ向かう道には、大型トラックや自衛隊の装甲車がひっきりなしに行き交っていた。

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 進むにつれて道路状況は悪化していく。舗装は剥がれたままで砂利道である。すれ違いも困難な細い道の左右に、路面すれすれまで海面がきている。ガードレールなどは存在せず、夜間に走行すると、海中へ落ちてしまいそうだ。

 まさに爆撃を受けた後のようであった。

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 はたして、こんなところを走っていいのだろうかと不安になる。

 この道も震災直後は破壊され、瓦礫で埋まっていたのだろう。それをなんとか車両の通行ができるまでに復旧させたのだ。この道がなければ、この先の集落は孤立してしまう。

 ローマ時代から変わらず、道は国家の根幹をなす最重要のインフラである。

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 宮戸島に渡ると被害の程度は比較的軽いように見えた。道路も内陸を通る部分は破壊されておらず、走行に支障はない。

 大高森の駐車場に車を止め、頂上へと登った。あの日、多くの人々が沿岸部からこの高台を目指したに違いない。

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 眼下に漁村が見えた。整然と漁船が並べられ、家屋にも大きな被害はないようであった。この集落は入り組んだ入り江の奥にあり、北側が海に面しているため津波の被害が小さかったのだろう。

 先ほどの爆心地のような道路の先に比較的平穏な場所があることが、なんだか不思議で、かつ、ほっとさせた。

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 大高森から見下ろす松島の海は穏やかであった。

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 松島への分岐点までもどり、松島の中心部へと向った。

 大高森と松島の間、奥松島と呼ばれる地域を通過して、そのあまりに凄惨な光景に息を飲んだ。道の両側は、まるで巨人が徹底的に踏みつけたかのように粉々になった家屋の残骸で埋まり、片付けきれない瓦礫が路上にまであふれている。

 ひとつの町が完全に破壊しつくされたのだ。

 壊滅的被害という言葉の意味を始めて理解した。それはすごい被害という意味ではなく、全てが破壊しつくされたということなのだ。

 野蒜駅の周囲も被害が激しようであった。やや内陸に位置するこの場所が、なぜこんなにもと思ったが、地図をよくみると、ここは太平洋に面した海岸線からの距離が近い。この海岸線は石巻とも続いている。

 石巻や気仙沼、陸前高田などの地名は報道でもよく耳にしたが、ここ東松島市も相当な被害だったようだ。帰宅してから調べると、死者行方不明者の数は気仙沼と同じくらいであった。瓦礫の撤去もままならないようだが、報道の軽重が支援の差にならないよう切に願う。

 圧倒的な光景に打ちひしがれていると、瓦礫の町を歩く母子の姿が目に入った。夕暮れのオレンジ色の光に包まれたその姿は、なんだか楽しそうにも幸せそうにも見えた。

 脳裏に刻まれ、けっして忘れることのできない光景が、またひとつ増えた。

 
 

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