旅行・地域-北関東

たくみの里で町おこし

 高崎で中山道から枝分かれし、三国峠を超えて新潟県寺泊へ至る三国街道、かつては江戸と佐渡を結ぶ主要な街道であった。

 この三国街道の宿場町のひとつである須川宿へ。

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 国道が集落を大きく離れて通ったため、須川は寂れてしまっていたが、観光地として整備され、いまでは「たくみの里」としてそこそこの観光客が訪れる場所になっている。

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 広々とした街道沿いに、周囲に大きな空間を取ったセガイ造り民家が点在している。多くの民家は、もの造りの家として観光スポットになっていて、徒歩やレンタルサイクルでそれらを巡るのである。

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 観光地として整備される前の須川宿の写真を見ると、街道の中央に水路が流れていた。車社会の現代では不便なのはわかるけど、江戸時代の宿場町の名残りは、できれば残しておいてほしかったものである。

 
 

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巨大養蚕民家集落

 現代風の店舗が並ぶ国道から脇道へそれ、小山を回り込むと、その集落は忽然と出現する。

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 群馬県北部、旧新治村の箕輪。国道から数百メートルしか離れておらず、旧新治村役場のすぐ裏手なのだが、小山の裏側にあるため、集落の目の前に出るまでその姿が見えない。

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 外部から集落が見えないということは、集落内からも外部の世界が見えないということであり、外の世界とは隔絶された異空間である。

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 ここには巨大な養蚕民家が密集して存在する。

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 妻側を兜造りにし、平側も切り上げた民家、三階建てでその上に高窓のある城郭のような民家と、その形態も様々である。

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 箕輪では昭和の終わりごろまで養蚕が続けられていた。そのためか、保全の行き届いた建物が多い。

 
 

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群馬の養蚕集落

 群馬県内には無数の養蚕集落がある。というか、すべてが養蚕集落であったといってもいいくらいの存在率である。

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 山間部の集落には必ず養蚕農家の家屋が残っているし、群馬県内は大部分が山間部である。主要道を外れ、闇雲に山の中を走っていると、よく養蚕集落に出会う。

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 長野原町内を走っていて偶然この集落に出会った。

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 ここは横壁地区というらしい。

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 山道の行き止まりが東集落であり、その少し手前が中村集落である。

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 急峻な斜面に集落が形成されている。

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 このあたりはダム建設でもぎりぎり水没しない地区のようである。

 
 

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湖に沈みゆく定め

 八ッ場ダム建設により水没することになる川原湯温泉へ。

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 一時はさびれていたようだが、水没が近づくいま、別れを惜しむ人々で、いくばくかの賑わいをみせているようだ。

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 ずいぶん前に一度訪れたことがあるが、やまた旅館や山本館の犬がいまだ健在だったことがうれしかった。

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 現在の温泉街よりも高度の高い場所に近代的な新温泉街を造成し、ダムの完成とともにそこへ移転することになる。そうして源頼朝が鷹狩りの最中に発見したといわれる源泉とともに、この温泉街も湖底へ沈む。

 
 

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六合村

 群馬県六合村、「くにむら」と読む。

 小雨、赤岩、生須、太子、日影、入山の六つの村が合わさったので「六合村」なのだが、「六合」を「クニ」とする無理な読み方は古事記や日本書紀から来ているらしい。天地と東西南北の六つを合わせたものとは「国」を表しているため、「クニ」と読むようである。意味的にも村名にふさわしい言葉だ。ちなみに、「くにむら」で変換しても「くに」で変換しても、ちゃんと「六合村」「六合」と変換されました。

 六合村の合併は明治時代の話である。現在の合併ブームとは一切関係がなく、町村制の施行にともなうできごとなのだ。記紀の言葉を村名に用いた明治の時代と比べ、平仮名やカタカナの市町村名がまかり通る現代は、うすらさみしい気分にさせられる。

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 六合村のどの集落も、かつては養蚕で繁栄したのであろう。立派な養蚕農家の建物が多く見受けられる。

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 1階は住居で、2階で養蚕をおこなったため、出し入れが便利なように2階が道路に面している家々も多い。

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 六合村の中心地は小雨である。信号もあるし村役場もある。

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 診療所もある。全国の過疎地は急速に超高齢化しているのに、医療サービスはあまりに不十分である。

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 こうした山間の村々が、どんどんと限界集落となっていき、あとはもう消滅するままに放置されているのは、日本の貧しさである。

 
 

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重伝建の養蚕集落

 群馬県に数多く残る養蚕集落の中で、重要伝統的建造物群保存地域に指定されている唯一の集落である六合村赤岩へ。

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 山腹にある美しい集落である。

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 このような養蚕集落は、群馬県内に無数に存在しているといってよい。

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 赤岩が他の集落と異なり重伝建に指定されているのは、村が赤岩を保存地区に指定しているからである。重伝建は、自治体が条例等で保存地区に指定し、国へ申請した上で、重要と思われる地区を国が指定したものなのだ。

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 とすれば、重伝建に指定されているのは現在のところ全国で83ヶ所だが、そもそも古い町並みの保存などには関心が無く、ただ崩れていくままに放置されている重要な町並みも数多いのであろう。

 
 

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養蚕農家

 群馬は養蚕の盛んであった土地で、養蚕農家の家屋があちこちに残っている。

 だからこそ富岡製糸場もこの地に建設されたのである。明治時代には群馬県内の半分以上の世帯が養蚕農家であった。

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 化学繊維の登場以降、世界的に生糸の需要は縮小しており、また輸入物にも押されて、国産生糸の生産量は激減している。

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 それでもいまだ群馬県は生糸の生産量で国内首位である。しかし生産量は毎年減少を続け、このままでは遠くない将来に養蚕農家も消滅してしまうかもしれない。

 
 

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花咲く城下町

 群馬県甘楽郡甘楽町、城下町の町並みで知られる小幡へ。

 昨年は新緑の季節に訪れ、今年は桜咲く頃に再訪することができた。

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 桜は、残念ながら満開にはあと一息であったが、町並みに艶やかな彩を添えていた。

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 前回訪れたのは午前中で、主要な建物がすべて西向きの小幡ではうまく写真が撮れなかったため、今回は日が傾いてから到着するようにした。

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 いくつかのグループが桜の木の下で花見をしていた。江戸時代の町並みの下で宴会するなんて、うらやましい限りである。

 
 

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ネギとコンニャクの町

 群馬県下仁田、ネギとコンニャクで知られる町である。

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 道路沿いには観光客相手にネギやコンニャクを売る店が何軒もあるし、町の中心部には立派な蔵を持つ蒟蒻屋もある。

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 それだけではなく、下仁田は信州姫街道の宿場町であり、この地方の主要な町でもあった。

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 現代の下仁田はただの寂れた地方の町かもしれないが、それでも山中の集落を訪ねまわった後でもどってみると、町の規模の大きさとにぎわいを感じる。

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 かつては今と比較にならないほど繁栄していたのだが、移動手段の効率化が図られるにつれ、都市機能も一極集中化していき、それに取り残された町は、観光など他に活路を見出すか、静かに寂れていくのであろう。

 
 

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行き止まり

 仲庭を過ぎてさらに行くと、小倉、道場の集落に行き着く。

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 ここは行き止まりの集落である。ここから先どこかへ向かう道はない。

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 通過する旅人はなく、ここを目的地とする人のみが訪れるところである。そしてそのような人はほとんどいないはずだ。

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 籠を背負った老人が犬とともに山へ入っていった。そんな現代離れしたところであった。

 
 

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急峻な土地に暮らす

 砥沢の先の羽根沢で分岐した道を星尾川に沿って北上し、星尾地区の仲庭集落へ。

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 石垣を積み上げた段々畑の上に民家が建ち、要塞のようである。

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 狭い土地を有効活用するための勤勉さがもたらした集落風景である。

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 養蚕の盛んであった土地であり、セガイ造りの民家が多く残っていた。

 
 

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海から最も遠い集落

 勧能で二手に分かれた道のうち、もう一方の道を行くと馬坂集落にたどり着く。

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 ここは行政区画的には長野県に当たるのかもしれないが、文化的・経済的には南牧村の一部である。そして最奥の集落のひとつである。

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 山深い地である。この近くの山中に日本でもっとも海から遠い地点というのがある。馬坂は、国内でもっとも海から離れた集落のひとつであろう。

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 川と山に挟まれた、わずかの土地に住み耕して暮らしている。有効利用が可能な土地はあまりない。

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 背後の急斜面も段々畑として利用されている。

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 こういうところで生まれ育ち、あるいは嫁いできて一生を終える人々と、私のような根無し草の人間とでは、同じ日本人でも思考や感情が大きく違うの であろう。どのようなことを考えて日々を過ごしてきたのだろうか。まさにずっしりと地に足のついた生活にあこがれもするが、別の暮らしを知ってしまったい ま、後戻りするのは恐ろしくもある。

 
 

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終わりに向かう

 勧能で二手に分かれた道の片方の終点が熊倉集落である。自動車道はここで終わり、徒歩でのみ余地峠を超えて信州へと行くことができる。

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 まさに南牧村最奥の集落である。

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 平らな土地は少なく、斜面に民家がへばりつくようにして建っている。

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 川沿いのわずかな平地には蔵付きの民家が並んでいる。

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 ほとんどが空き家で、朽ち果てつつある建物が多い。

 ここもそれほど遠くはない将来に、無人の集落となってしまうのであろう。

 
 

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最奥の中心地

 下仁田から来る一日数本のバス(といってもワゴン車だが)の終点が勧能集落である。

 勧能で道は二手に分かれ、ここから先はさらに険しくなり、峠を超えて信州へと至る。

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 勧能は、実に大きな集落である。川沿いに延々と町並みがつづく。このような山深い地に、こんな大規模な集落があるとは予想外であった。

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 山奥の集落から山を下ってくると最初に出会う「街」である。

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 かつての街道は集落の中を通っている。

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 大きく、美しい集落であった。

 
 

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さらに奥へ

 砥沢を過ぎ、南牧村のさらに奥へと向かう。

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 砥沢の少し先の羽根沢集落には、こんな山奥に不釣り合いな邸宅があった。

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 かつての繁栄の遺産である。

 
 

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群馬の山奥

 群馬県南牧村は信州との境の山脈の東側に位置する群馬県最奥の村である。

 群馬の山奥といえば、それはもうかなりの山深い地である。日本に残された最後の秘境といってもいい。そして日本一高齢化の村でもある。

 そんな南牧村の最奥部に点在する集落を訪ねまわった。

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 下仁田で信州姫街道から分岐し、南牧村をぬけて峠を超え、信州へ至る街道沿いを行く。下仁田を出てしばらくは道幅もそれなりに広く、集落中心部を 迂回するようにバイパス化されている部分もあるが、さらに山深い地に入ってしばらくすると、突然道幅が狭くなり、通りの両側に民家が迫る集落に入ってい く。

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 ここが砥沢である。集落を迂回する道もなく、古の街道そのままの道幅で現在に残る。集落中央を走る街道は、川の流れに沿って曲がりくねっている。

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 通りの両側には、出桁セガイ造りの養蚕民家が軒を連ねる。

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 砥沢は、かつては良質の砥石の産地であり、また養蚕や蒟蒻栽培で繁栄した。信州から峠を超えて運ばれる物産の集積地としてもにぎわった。

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 砥石の鉱脈が付き、物資の輸送は鉄道に取って代わられると、砥沢も急速に衰退していく。

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 そして、再開発されるようなこともなく、当時の姿を今にとどめているのだ。

 
 

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姫街道

 上州姫街道の宿場町で、宿場の面影を今に残す町のひとつ、本宿へ。

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 姫街道と呼ばれる街道はいくつかあるが、正式名称ではなく近代の俗称である。本街道の難所を迂回する脇往還を指して言うことが多いが、東海道に対して中山道をそう呼ぶこともある。いずれも主要な街道に対する脇街道の意味である。

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 本街道の難所や関所での厳しい女人取締りを避けて女性が旅行することが多いため姫街道と呼ばれるようになったという説や、主要な道を男道、脇道を女道とする発想からきているという説もあるようだ。また実際に「姫」が通行したところもある。

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 埼玉県の本庄宿で中仙道から分岐して、群馬県南部を通過し、長野県で再び中山道に合流する下仁田道も姫街道のひとつである。他の姫街道と区別するため上州姫街道と呼ばれることが多い。

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 かつては往来の多い宿場町だったのであろうが、本宿もやはり他の多くの町と同様に過疎化の波には逆らえないようである。

 
 

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往時の面影を探して

 日光例幣使街道の宿場町であった群馬県の境町。

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 宿場町として栄えたとされているが、その面影はあまりない。

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 維新後は生糸の生産が盛んであった。当時の養蚕農家の建物が町の南部に残っている。

 面影を探す町歩きはさみしいものがある。やはり町は生きて活動していてこそである。

 
 

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栃木の木造洋風建築

 栃木には往時の繁栄を偲ばせる、いくつかの木造西洋建築も残されている。

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 栃木県庁跡地に建設された現在の栃木市役所別館も大正時代の木造建築物である。

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江戸とみちのくの繋ぎ目

 栃木は日光への入り口にして、みちのくと江戸をつなぐ中継地でもある。

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 物資の集積地として、また宿場町としても栄え、財を成す商人も現れ、多くの蔵が作られた。

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 中心地は舟運で栄えた当時の面影を残す。

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 朝廷の使いが日光に赴くために通った日光例幣使街道沿いにも古い町並みが残っている。

 
 

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石灰ロード

 栃木市街から山間部へ向かう道をしばらく進み、鍋山町を過ぎた辺り、家々が途切れると唐突に工場地帯に突入する。このあたりは良質の石灰の産地なのだ。

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 石灰で景色が白っぽくなっている。

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 道路の両側に工場が、という状態を通り越し、工場の中を道路が貫通しているような状態である。これでも、林道などではなく、歴とした県道である。

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 車を運転していると間違えて工場敷地内に入りそうになる。それほど一般道と一体化しているのだ。

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 他の場所では入ることができない工場内部を間近で見ているようである。

 
 

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佐野といえば…

 ラーメンに厄除け大師。

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 ラーメンは食べたので厄除け大師へ。年末になるとCMが流れ出すあれである。CM効果で有名であるが、こじんまりとしたところであった。

 お参りを済ませ、佐野の町並みを歩く。

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 木造家屋が多く残っているが、その大部分は長い年月の間、空き家状態のようである。崩れ落ちるのをただ待っているようで物悲しい。

 
 

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幸せラーメン

 佐野ラーメンを食べに栃木県佐野市へ。

 どうせ食べるなら有名どころでと思い「とかの」へ行くと、開店30分以上前なのにすでに行列ができていた。

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 1時間近く並んでようやく店内へ

 これほど繁盛しているのだが、一日限定80食を頑なに守り続けている。他店舗展開も東京進出もブランド商売もまったく考えていないようだ。ただ、自らの納得のいくラーメンを作り続けるのみ。本物の職人魂である。

 佐野ラーメンは、青竹打ちの平縮れ麺とあっさりスープが特徴である。醤油というよりは塩ラーメンに近かった。餃子も餡がぎっしり詰まっていた。

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 餃子の焼き上がるタイミングを見計らってラーメンを作ってくれる。ラーメンを食べ終わったころに餃子が出てくるようなことは決してない。

 このラーメンにありつくには、行列に並び続ける覚悟が必要だ。だが、お店の人たちの暖かい対応とあいまって、食べると幸せになるラーメンである。

 
 

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栄華の名残

 足尾銅山。鉱毒事件であまりにも有名なところである。

 本山精錬所付近は以前に訪れたことがあるのだが、足尾駅前に古河掛水倶楽部という銅山の迎賓館があると知り、再び足尾を訪れた。

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 足尾駅周辺は、年配者にはなつかしい昭和の風情の小集落である。銅山で働く人たちの社宅も、時代に取り残されひっそりとしているが、人が住み生活しているようすである。

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 テニスコートもある。いまでも使われることがあるのだろうか。

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 古河掛水倶楽部は明治期の木造洋館である。当時としては瀟洒な建物であったことだろう。

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 過去の繁栄も激動もすべてを忘れて、足尾はまさにいま眠りにつくかのごとくであった。

 
 

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ノコギリ屋根の街

 群馬県の桐生市を訪れた第一の理由は、うなぎだったわけだが、第二の理由はこの看板のある酒屋さんの写真を撮りたかったからである。

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 こういった古い建物や古い看板が大好きであるし、この看板の会社に少々関係もあるしで訪れてみたかったのだ。残念ながらこちらも月曜定休日であった。できれば天気のいい日に青空バックで撮り直したい。

 桐生市は思いのほか広い。駅周辺は、まぁ言ってしまえば、よくあるさびれた地方都市なのだが、駅からはなれた、本町一丁目辺りには古い町並みが残っている。

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 この辺りを歩いていると、ノコギリ屋根と呼ばれる特徴のある屋根をもつ建物を次々と発見する。かつては絹織物工場であった建物であり、北側からの光を取り入れるために、このような形の屋根になっている。

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 以前は栄えた織物の町も、今では往時ほどの勢いはないのかもしれない。ノコギリ屋根の工場も空き家が目立つ。他業種の店舗として生まれ変わり活躍しているものも多いようだ。しかし、これはこれで過去の遺産の有効な活用である。市内に200以上もあるといわれる、かつての隆盛の象徴を、できる限り残していってもらいたいものである。

 今回は市北部を中心に散策したが、東部にもノコギリ屋根の工場が多く残っているらしい。次回訪れたときにはこちら方面にもぜひ足を延ばしてみるつもりである。

 
 

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うなぎ

 もうすぐ土用の丑の日であるし、最近はスーパーで気軽に買って食べなくなったしで、老舗の有名店でうなぎを食べることにした。伝統と趣きを重視して選んだ店は、坂口安吾も通っていたという桐生の泉新。

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 到着してから知ったのだが月曜は定休日だそうな。店に人がいたので、まだお昼前だしこれから店を開けるのかもしれないと淡い期待を持ちつついちおう確認してみたが、やはり休みだそうだ。祝日なのに! それに土用の丑の日直前なのに! いやこれからいそがしいから今日のところは休んだのだろうか。車で三時間もかけて行ったんだけど食べれませんでした。これから行かれる方は注意してください。月曜は定休日です。祝祭日でも休みのようです。月曜が土用の丑の日だったらどうなのでしょうか? それでも休みでしょうか? その時はお店にご確認ください。

 
 ところで話は変わりますが、今年の春くらいからファーストフード店でうな丼を取り扱っているところが増えてますよね。牛丼屋やカレー屋でうな丼を食べる気にはなかなかならないのですが、これってやはり、うなぎが売れなくてあまっているからなんでしょうね。おそらく安く仕入れることができるのでしょう。スーパーでは嘘でも産地を記載しなければなりませんが、外食ならその必要もありませんですから。

 中国産うなぎも日本産うなぎも全くの同一種でDNA鑑定しても区別できないことは知っていますし、うなぎのおいしさは素材ではなく料理の腕前やどれだけの手間をかけるかで決まることも知っていますが、できるだけチャイナフリーの私には、気分的にますますうなぎが遠のいていきます。

 
 

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山奥へ蕎麦を食べに行く

 栃木市内から車で30分、山間の小さな集落、出流へ。

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 山々に囲まれた自然豊かな小さな山村と聞けば日本全国にたくさんありそうだが、出流には集落の規模から考えて過ぎたるものがふたつある。そのひとつは出流山満願寺。立派な真言宗のお寺である。

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 出流の集落も満願寺の門前町として栄えて…はいないかもしれないが、他の山村と比べてそこそこやっているようだ。出流の過ぎたるものもうひとつは蕎麦屋である。満願寺へつづく道沿いには、地元でとれた蕎麦を食べさせる店が十数件もあり、ならばなければ入れないところもある。
 出流では、一升または五合で蕎麦を注文するのが主流のようである。一升で約四人前らしい。我々は五合を注文。店によって蕎麦粉の割合はちがうようだ。ちなみに我々が入った店は二八蕎麦であった。田舎だからといって田舎蕎麦ってわけではないのですね。

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 蕎麦とともに食した、これも地元で採れた舞茸の天ぷらもよい。ひとつひとつが大きく、衣はさくっと揚がっているが中身はしっとりとして、食べると口中に舞茸の香りが広がる。

 ところで、出流は「いずる」と読みます。

 
 

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社会の教科書にでてきたところ

 富岡製糸場
 だれでもいちどはその名前を聞いたことがあるでしょう。社会の教科書で明治維新とか富国強兵とかのあたりで必ず登場します。でも知っているのは名前だけであり、それがどこにあるのかまでは知らない人も多いと思う。自分も知りませんでした。いまでも製糸場が残っているとは思わなかったし、20年ほど前までは現役で操業していたとは驚きです。明治初期に建設されたのだから、100年以上たっているはず。

 北関東の地図をながめていて富岡製糸場という表記を見つけたので訪ねてみました。行ってみて驚いたことがふたつ。
 ひとつは訪れる人がかなり多いということです。観光バスも次々にやってきます。有名観光地だとは思いませんでした。やはり教科書掲載の宣伝効果ははかりしれないものがあるのでしょうか。世界遺産暫定リストにも加えられたそうで、そのおかげもあるかもしれません。
 もうひとつは建造物がほぼ完全に保存されていたことです。最近まで現役で使用されていたことを考えれば当然かもしれませんが、もっと廃墟のようなものを想像していました。

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 残念なのは、見学できる範囲が狭く、また建物内にはほとんど入れないところです。当時の世界最大規模の製糸場なのですから、見るべきところはまだ他にもたくさんあると思われます。遠目からながめるだけでなく内部も自由に歩けたら、よりおもしろさが増すのに。個人的には北側の塀沿いの朽ち果てつつある民家のような建物群に惹かれましたが近づくこともできませんでした。

 富岡製糸場の見学を終えて、富岡の街を散策。

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 製糸場があったおかげで、街の規模に比べて大きな商店街があります。栄華の時代は今は昔、趣きのある建物ばかりです。開いている店も少しはありますが、やはりシャッターが下りたままの店が大部分です。それとも訪れたのが日曜日だったからでしょうか。

 
 

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甘楽町立第二中学校を勝手に讃える

 武家屋敷の街並みで知られる群馬県小幡、その武家屋敷街のすぐとなりに甘楽第二中学校はある。

 初めはこれが学校だとは気づかなかった。周囲の景観をできる限り壊さないような配慮がなされているからだ。

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 もしこの塀が一般的なブロック塀であったら街並みの良さも半減してしまう。なにしろ武家屋敷街の中心部の中小路にあるのだから、武家屋敷街をみわたすと、どうしても視界に入ってくるのだ。

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 建物も黒と白に塗り分けている。

 そこまでしなくてもとも思うけど…。

 
 

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GW 北関東の旅 その1

 ゴールデンウィークは北関東の小さな町を訪ねてきました。といっても、休みのはずなのにとびとびで会社に行かなければならず日帰りです。都内と北関東を高速で何往復もしました、ゴールデンウィークに…。渋滞すごかったです。

 はじめに訪れたのは群馬県の小幡。休日ですが観光客もあまりいなくて静かにひっそりとしていました。

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 小幡には城下町の街並みや武家屋敷が残っていて、今でも人が住んでいらっしゃる。街がほとんど観光地化されていないのは、そういった理由もあるのだろう。だから訪れる人は多くはない。テーマパーク的なものを求めて小幡へ来ると肩すかしをくらうことになる。ここは住宅地なのだ。ただその住宅が何百年前だかに建てられたものなのである。

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 古い街並みが好きな人ならきっと小幡が好きになるだろう。

 
 

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現在の足尾銅山

 鉱毒事件で教科書にも必ず登場する足尾銅山だが、本山精錬所がいまだに残っている。

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 現在も古河機械金属の所有物であり、近年まで精錬事業を行っていたそうである。

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 いまにも崩れそうな建物だが、ヘルメットをかぶった数人の作業員が内部で作業をしていた。

 
 

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日本で一番有名な滝

 日光いろは坂を通って、

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 華厳の滝へ。

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 藤村操のおかげで、日本で最も名の知れた滝のひとつとなったが、近年は飛び込む人は出ていないそうである。

 
 

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肥大化した温泉街

 鬼怒川温泉へ。

 美しい渓谷沿いに温泉街が軒を連ねる。紅葉の時期はさぞ鮮やかなことだろう。

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 バブル期に設備投資をし巨大温泉ホテルが増えたが、その後の客足も伸びず、経営的には苦しいところも多いらしい。ホテル内に歓楽街や土産物屋を作り、宿泊者を外に出さずホテル内部で金を落とさせるビジネスモデルが、町の衰退や個人客が離れる一因になっている。確かに、以前に社員旅行で訪れたときもホテルから一歩も出なかった。

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 近隣には観光地も多いのだし、他の温泉地と比べて有利な条件はある。今後は新規客の取り込みや客単価にこだわらず、いかに再訪者を増やすかが大切ではないだろうか。

 
 

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ゆば御膳

 日光ではゆばが名産品である。

 もともとは精進料理の食材であり、僧侶や神官のタンパク源であった。食材であるから、なにか名物料理があるわけでもなく、決まった食べ方があるわけでもない。

 ゆばを食べることができるのは、観光客向けの食堂ばかりになってしまう。そしてメニューといえば、ゆばの入った蕎麦か、ゆばを使った数種類の料理がセットになったものしかないであろう。

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 ゆばは大好きだし料理はバラエティに富んでいておいしいのだが、材料費から考えると、どこで食べても少々いい値段がするようである。

 
 

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由緒と伝統のある観光地

 日光は輪王寺や東照宮の門前町として発達してきた。

 参道には土産物屋や旅館が軒を連ねる。

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 由緒と伝統のある観光地である。そのへんの観光地とは格が違うのである。

 
 

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ツツジと鯉のぼり

 群馬県館林市へ。

 町中に泳ぐ鯉のぼりを見に行く。

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 つつじが岡公園では花の見ごろを迎えていた。

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 今が盛りと一面満開のツツジであった。

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