旅行・地域-東北・北海道

油麩

 宮城県登米へ行った際に、特産品の油麩を買い求め、自宅で料理してみた。

 油麩というのは、油で揚げた麩である。見た目は小ぶりなフランスパンのようである。麩は健康食品であるが、油で揚げると少々不健康かもしれない。

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 伝統的な食材であり、もともとは煮物や味噌汁の具に入れていたそうだ。

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 しかし、油麩丼という新メニューが考案され、これが、地元でだけだと思うが、意外にヒットしているようである。登米には油麩丼を食べさせる食堂も何件かあった。

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 新メニューといっても、カツ丼のカツの変わりに油麩を入れただけである。味は、なんと言うか、カツ丼の肉抜きでころもだけを食べているようであった。

 
 

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檜枝岐の蕎麦料理

 檜枝岐は標高が高く、稲作に適さない土地であるため、蕎麦が米に変わる主食の地位を占めてきた。そのため蕎麦を使った様々な料理が存在する。

 蕎麦はつなぎを使わない十割蕎麦である。平らに伸ばした蕎麦を重ねて、小間板を使って押切りせず、布を裁つように引き切りするため、裁ち蕎麦と呼ばれている。小間板を使わないので太さはまちまちだが、十割蕎麦特有のボソボソした食感はなく、ツルッと食べられる。

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 「はっとう」と呼ばれる蕎麦餅は、その昔、あまりの美味しさに村人が食べるのはご法度になったことから、その名がついた。モチモチしていて甘い。周囲で採れる物を食べて暮らしていた時代には禁断の味だったであろう。

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 他からは隔絶した土地であったため、独自の食文化が発展している。蕎麦の他にも、山菜やキノコ、川魚など山の幸を食材に用いた地元の料理を総称して山人料理という。

 
 

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檜枝岐歌舞伎

 檜枝岐歌舞伎、南会津郡檜枝岐の地に、260年以上前より代々受け継がれてきた農民芸能である。檜枝岐の住民が江戸で見た歌舞伎を、見よう見真似でこの地に伝えたのがその起源とされている。

 民家の間の狭い路地をぬけると、檜枝岐歌舞伎の上演場所である神社に着く。

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 歌舞伎は神社への奉納として、年二回上演されている。舞台は神社の境内に、神々からよく見えるように、神社に向かって建てられている。

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 現在の舞台は、明治時代の大火で消失後に再建されたものだが、総檜造り、茅葺屋根の、伝統的な建築物であり、国の重要文化財でもある。

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 そして、神社へ続く石段が、そのまま観客席となっている。それはあたかもローマ帝国の半円形劇場のようである。

 木々に囲まれたアンフィシアター、いつかここで上演される歌舞伎を観劇に訪れたい。

 
 

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山々に閉ざされた集落

 南会津郡檜枝岐村、南会津の最奥部であり山々に閉ざされた地である。

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 2,000m超級の山々に三方を囲まれており、また豪雪地帯でもあって、長らく他の世界とは隔絶された陸の孤島であった。

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 しかし、日本有数の観光地である尾瀬の、北の玄関口として人々が訪れるようになり、現在では民宿も数多く、温泉もあり、このような山深い地では例外的な賑わいを見せている。

 
 

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街道沿いに茅葺屋根

 南会津で車を走らせていると、街道沿いの集落内に一軒の茅葺民家を発見した。

 車を停めて写真を撮影する。ここは田ノ瀬という集落らしい。

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 なぜか観光用の駐車場があり、なぜか韓国語での表示もある。近くに観光スポットらしきものがあるようには見えないし、店もなにも無い。ただ駐車場があるだけだ。謎である。

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 茅葺屋根は郷愁を誘うが、やはり集落として連続してあるべきである。現代建築の中にまぎれていると、みすぼらしく見えてしまい残念である。

 しかし、こちらのお宅の屋根は手入れもいきとどいていてきれいな状態であり、これからもできる限り維持していっていただきたいものである。

 
 

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のどかなのどかな温泉街

 湯ノ花温泉、南会津の山中にある、のどかな温泉街である。

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 川沿いに温泉宿が並ぶ、これといって特筆すべき点がないのが特徴であるくらい普通の温泉地である。交通の便も悪く、観光地として遠方から人が集まるようなところではないが、地域に根付いた温泉街なのであろう。

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 一軒だけだが茅葺屋根の民宿を見つけた。

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 共同浴場も数件あった。

 
 

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山の奥の茅葺集落

 旧舘岩村前沢は街道沿いの集落だが、この街道からそれて山に入り、道を登っていったところに、もうひとつの茅葺集落である水引がある。

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 水引は全く観光地化に関心がなく、従来の生活が続けられているようであった。

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 茅葺屋根は少なくなり、手入れの行き届かない建物もあったが、こちらのほうが現代日本の山村の現状であろう。

 
 

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茅葺曲家集落

 会津西街道から西へ分岐して、南会津最奥の桧枝岐村に至る街道沿いに、茅葺屋根の民家群が残る集落がある。それが旧舘岩村前沢である。

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 前沢の民家はどれも、母家に厩が連結されL字型に曲がった曲家である。前沢には茅葺屋根の曲家が十数棟も残っているのだ。

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 集落の大部分が茅葺屋根であり、状態もとても良い。

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 きれいに整備され保全されているので、人が住んでいるのだが、あまり現実感のない集落風景であった。

 
 

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会津西街道の集落を訪ねて

 会津西街道沿いの、特に福島県内には、昔ながらの集落が数多く残っている。

 そんな集落のひとつ、古内平を訪れる。

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 国道をそれて脇道に入り、川を渡ると左手に集落への入口がある。

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 この集落には茅葺屋根の民家が一軒残っていた。

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 こういった集落は南会津には数多くありそうだ。いずれまとめて訪ねてみたい。

 
 

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会津西街道の中心地

 会津若松より南下して日光に至る会津西街道、下野街道や南山通りとも称される。

 この街道の中央に位置し、街道中の唯一にして最大の町が会津田島である。

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 会津西街道中の他の集落とは異なり、会津田島は街である。

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 かつての名残か、木造の旅館も数件残っている。どのような需要があるのだろうかと疑問に思っていたが、この日は高校生の部活の合宿が行われていた。

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 会津田島には木造西洋建築の旧南会津郡役所が、現在の南会津町役場の敷地内にある。

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 かつても、そして今でも、南会津の中心の街なのである。

 
 

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交通の要衝

 江戸から東北へ至る街道としては、栃木、白河を経由して内陸を行く五街道のひとつの奥州道中がある。それとは別に、水戸を通って海岸沿いを行く常磐道もある。

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 この二つの道が仙台の南の岩沼で合流する。当然、交通の要衝として発展することになる。

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 町の規模は大きく、現代でも比較的賑わっている。しかしそのために古い建物は取り壊されてしまったようである。

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 街道沿いにわずかに三ヵ所、往時の建物が現代の町並みの間に埋もれている。

 
 

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紅花商の町

 宮城の小京都、村田へ。

 紅花の商いで潤った豪商の店蔵が建ち並ぶ。

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 関東では黒漆喰壁の蔵が一般的だが、ここでは海鼠壁が主流である。

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 鰻の寝床の店の奥へ行く通路が、建物外に付けられている。

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 古い町並みエリアは広くないが、重厚な店蔵が比較的連続している。そんな町並みが、高速道路のインターを降りて5分のところに存在するのもおもしろい。

 
 

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田園風景

 以前から、新たな撮影テーマとして田園風景の写真を撮ろうと思い、撮影によさそうな場所もいくつか候補に挙がっているのだが、いかんせん最近は町並み探訪に力を入れすぎているため、なかなか田園を訪れる時間が無い。季節や時間帯、天候で大きく風景が変わるため、どこかできるだけ近くの一ヶ所に決めて、なんども訪れるのが、いい写真をものにする最良の手段である。しかしこれは日本全国様々の場所の町並み探訪とは相容れない撮影スタイルなので、なかなか実行に移せずにいる。

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 まぁ撮りたいものがいろいろあるというのは、カメラを趣味にしている人間にとっては幸せなことなのですけどね。

 
 

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茅葺の里

 山形県は尾花沢市と村山市の市境近くの山中に茅葺屋根の農家群が残る集落がある。国道からそれた脇道に入り、山を登っていった道の終点にある集落である。

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 茅葺屋根の集落があるのは村山市側の五十沢地区の上五十沢である。

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 継足し継足しで増設されているため、建築様式に統一性はない。実用性のある改修がおこなわれているのであろう。住み続けるための努力が継続されているのである。

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 観光に力を入れる様子もなく、農業で生活を営んでいるようだ。

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 修復され保存された民家園ではなく、人々が住み生活している生きた茅葺集落である。

 
 

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店蔵の活用

 大石田では現在でも店舗として使われている店蔵を何件も見た。

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 なかには居酒屋チェーンに改築されている蔵もあった。

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 蔵造りの「大吉」である。

 内部はどうなっているのだろうか、まさか蔵座敷じゃないよなぁ。

 
 

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舟運の町

 大石田は最上川とともにある。

 舟が輸送の中心であった時代、大石田は最上川の舟運の中継地として繁栄した。

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 酒田からの舟は大石田で積荷を降ろし、ここからは舟を変えて、または陸路で各地に運ばれた。周辺の産物も大石田に集結し、ここで酒田への船に積み込まれたのだ。

 最上川が町の表側であり、当時は川に面して建物が並んでいたであろう。

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 しかし現代では、川はすっかり町の裏手の存在になってしまい、町を洪水から守るための堤防が、大石田の町を最上川から遠ざけているように見える。

 舟運とともに栄え、舟運とともに衰退していく運命の町である。

 
 

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大正モダンの温泉街

 大正時代当時の人々がどう考えていたかは定かではないが、現代に生きる私から見ると、大正時代というのは、近世と近代の絶妙な融合、東洋テイストと西洋テイストの均衡の取れた混ざり合い、日本伝統の文化に欧風の趣向が入り込み、大衆文化が花開いた時代、そういったイメージである。

 そんな大正時代に建設された温泉街が、山形県の銀山温泉である。

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 江戸時代初期からの湯治場であった銀山温泉が、大正初めの洪水を契機に建て替えが進み、東北の山中に大正モダンの温泉街が出現することとなった。

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 木造三階建ての旅館が銀山川を挟んで建ち並ぶ。見事な鏝絵を残す旅館もある。

 「おしん」の舞台となったことでも知られる温泉街である。

 
 

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登米の町並み~明治時代編

 「宮城の明治村」と呼ばれる登米には、明治期の建築物も多い。

 木造洋風建築の登米警察署庁舎、この瀟洒な建物は昭和43年まで警察署として使われていた。

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 他にも水沢県庁舎など明治の建築物は残るが、やはり最大の見ものは登米高等尋常小学校である。

 木造校舎は郷愁を誘うものであるが、これはあまりに立派過ぎて畏怖をおぼえる。

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 設計は、ウィーン万博の日本館建設に参加した山添喜三郎である。先の登米警察署庁舎も山添の設計である。

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 建設に当たっては、素材を十二分に吟味し、莫大な時間と経費をかけて行われた。当時は批判もあったようだが、それが100年以上を経た現代に、この建築物を残すこととなった。

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 正面玄関の柱頭飾りは正確にイオニア式である。そして木製である。

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 この小学校は、昭和48年まで現役で使用され、その後も臨時の校舎として使用されたりしつつ、現在では教育資料館として一般公開されている。

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 すぐ裏手には現代の登米小学校がある。

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 古いものを取り壊すのではなく、大切に使用し続ける精神が根付いた町である。

 
 

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登米の町並み~江戸時代編

 宮城県登米市登米、市の名前は「とめ」市だが、町は「とよま」である。

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 現代では静かで小さな町であるが、かつては町のすぐ横を流れる北上川の舟運で栄えた。しかし物資輸送の主役が舟から鉄道、そしてトラックへと移ると、鉄道からも主要道路からも大きく外れている登米は開発から取り残され、その結果、古い町並みがよく残ることとなった。

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 北上川に最も近い通りが、かつての商業の中心地だったのであろう。蔵造りの商家が、川と並行して走る道沿いに並ぶ。

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 江戸時代には登米伊達氏の城下町であった。川から少し離れた地域は、かつての武家屋敷街である。藩政時代から変わらぬ屋敷門に漆喰塀の家々が並ぶ。

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 登米はまた、玄昌石の産地でもあった。この特産品を用いた天然スレート葺きの屋根も見ることができる。

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 現在ではもう玄昌石は産出していないが、登米は古いものが自然と残る町である。

 
 

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湯野上温泉郷

 湯野上温泉への入り口、会津鉄道湯野上温泉駅は茅葺屋根の駅舎である。

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 駅前は温泉街というほどまとまって宿があるわけではなかった。

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 眺めはよさそうである。

 
 

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昭和の温泉街

 会津若松近郊の芦ノ牧温泉。

 時代に取り残されたかのような昭和の歓楽街の雰囲気を今に残す。

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 木造建築などの古い町並みとしての情緒があるわけでもなく、歓楽街として現代に通用する集客力があるわけでもなく、中途半端な位置のまま時を重ねているようだ。

 近隣に観光地が多いので、設備投資をしなくてもそこそこやっていけるのであろうか。

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 だが、子供のころの記憶を呼び起こすような、どこかなつかしさを感じる温泉街でもある。

 
 

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ソースカツ丼

 カツ丼といえば卵とじが当然であり、それ以外は味噌をかけたものしかないと長らく信じてきたのだが、ソースカツ丼なる食物の存在を知ったときには不思議であった。

 ご飯の上にトンカツをのせてソースをかけるなら、トンカツ定食をどんぶり物にしただけではないか。それなら、しょうが焼きをご飯にのせればしょうが焼き丼だし、サンマを乗せればサンマ丼である。

 それに、揚げ物をご飯にのせてソースをちょこっとかけただけだと、ご飯とソースがぐちゃぐちゃと混じり合い絶妙の味加減になるどんぶり物の醍醐味が全く味わえないではないか。

 そんな思いから長らくソースカツ丼を敬遠してきたのだが、北関東方面に旅行中に同行者が食しているのがうまそうで、少し食べさせてもらった。するとなぜだか妙にうまいのである。ご飯とカツをいっしょに食べているだけなのだが、なぜだかうまいのである。

 単に空腹だっただけかもしれないと思い、その後も何度か試したが、やはりなぜだかうまい。最近では卵とじや味噌よりも好きになってしまった。

 ソースカツ丼地域を調べてみると、北関東や甲信越南部、東北南部と東京を包囲し、まさにいま首都圏進撃の機会をうかがっているかのようである。他にも北陸や北東北にもソースカツ丼地域は散在しているらしい。

 なぜこれらの地域では、一般的な卵とじのカツ丼でなくソースカツ丼が根付いているのか。ソースカツ丼地域間での地域差はあるのだろうか。いままでは漫然と食していたが、これらのことが気になりだし、ひとまずそれぞれの地域の代表的な店で食べ比べてみようと思う。

 会津若松では、ソースカツ丼を提供する店舗が伝統会津ソースカツ丼の会を結成している。その会の中で、昭和五年開店当時の味を守り抜いているという謳い文句に惹かれ、若松食堂へ。

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 とりあえずフタ付きでカツ丼が出てきましたが、店内ですぐに食べるのになぜ? そういう文化なのでしょうか。ご飯の上にトンカツがのっているので、厚みでフタはピッタリとは閉まっていませんでした。

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 さらっとした少々甘味のあるタレが、サッとかけてあるだけなのですが、でもなぜだかうまいのです。カツの下にはキャベツが敷いてありましたが、キャベツの有無にも地域差があるようです。

 
 

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会津若松七日町

 会津若松市内七日町周辺には古い町並みが残っている。

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 ひと口に古い町並みといっても、七日町周辺には、江戸時代の造り酒屋や石造りの西洋建築、町家、蔵、看板建築と時代を超越した雑多な建築物が集まっている。

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 多くの店舗は現在も営業を続けており、観光客相手の店もあれば、地元の人向けの店舗もある。また、鉄道の線路を挟んだ東西の市街地を行き来する主要道路沿いでもあるため、人と車で溢れている。古い町並みなので道幅は広くない。カオスである。

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 だが、バイパスができて車での移動の利便さが増せば、バイパス沿いに全国どこでも見かける店が立ち並び、商業地域は郊外に移って中心部は空洞化していく。多くの町がこの運命をたどっているなか、会津若松は不便さのおかげで活力を保ちつづけているようであった。

 
 

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赤レンガ蔵の集落

 喜多方近郊の三津谷は、集落内の多くの建築物が赤レンガ造りであるという特異な集落である。

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 屋根も赤く、遠くから見ると田園の中の要塞のようだ。

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 そのレンガを生産した登り窯も近くにある。喜多方市内や周辺のレンガ蔵は、この樋口窯業で生産されたレンガを用いて建造されたのだ。

 
 

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終着駅

 西原集落へ渡る橋の手前、田付川沿いの平沢も美しい集落である。

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 ここは喜多方から来る一日五本のバスの終着駅である。

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 平沢も近隣の集落と同様の美しく静かな集落である。

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 そしてもちろん農家蔵が多い。

 
 

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農家蔵

 喜多方周辺の農村集落には、他地域に比べて蔵が圧倒的に多い。これは必要性があってというよりはむしろ、男の見栄で蔵を建てた喜多方の文化の影響であろう。そしてそのおかげで、独特の美しい景観が形成されることになった

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 杉山集落近隣の西原も蔵の多い集落である。

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 美しい集落には美しい家が似合う。

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 豪奢な蔵とは裏腹に、西原はひっそりとした静けさに包まれていた。

 
 

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蔵自慢の農村

 喜多方市北東の杉山集落へ。

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 戸数十数戸の小さな集落だが、集落中央の通りの両側に、農村には不釣り合いなほど立派な蔵が迫る。

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 母屋は通りから奥まってあり、蔵だけが通り沿いへ伸び出ている。

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 作りも変化に富んでいる。実用のみならず、魅せるための蔵である。

 
 

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蔵造りのラーメン屋

 喜多方といえば、やはりラーメン。

 札幌ラーメンや博多ラーメンには遠くおよばないが、喜多方ラーメンの知名度は高い。喜多方ラーメンを食べさせる店は都内にも多く、チェーン店もある。私もなんども食べたことがあるのだが、地元でいただくのは初めてである。

 喜多方ラーメンの店は決してラーメン屋ではない。多くの店の屋号が「○○食堂」となっていることからわかるように、いわゆる食堂であり、ラーメンはさまざまなメニューのなかの一品である。一般的には、便宜上、ラーメンとしているが、地元では「中華そば」である。

 町の規模に対して店の数がかなり多い。観光客相手に始めたらしき店もないこともないが、大多数は観光客が押し寄せるようになる以前から、地元の人相手に営業している食堂である。

 喜多方ラーメンを提供する店の驚くべき特徴として、いくつかの店は早朝から営業していることがあげられる。朝食にラーメンなのだろうか。

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 そんな典型的食堂のひとつ「あべ食堂」で喜多方ラーメンを食す。

 店舗に蔵が併設されており、蔵座敷でラーメンを食べることもできるようだ。

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 澄んだスープに太縮れ麺。見た目も味もいままで食べたことのある喜多方ラーメンと同じであった。あれ!? 同じだぞ、と思ったが、当たり前と言えば当たり前である。それだけ地元以外に進出している喜多方ラーメン店が忠実な味を再現しているということであろうか。味覚の新発見はなかったが、喜多方の中華そばの雰囲気を味わうことができた。

 
 

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喜多方は蔵の町

 蔵の町として名高い福島県喜多方市へ。

 駅からつづく大通りは、アーケード街である。

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 アーケードの下を歩いているとわからないが、通りの反対側の商店街をよく見ると、蔵造りの建物に後からアーケードを作りつけたようである。こういう再生法はきらいじゃないけど、アーケードもずいぶんくたびれてきたことだし、このさい取り払ってしまってはとも思います。

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 喜多方市内で蔵の町並みが比較的まとまって残っているのは、旧小田付村の「おだつき蔵通り」沿いである。

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 古い町並みを訪ね歩いていると、必ず昔ながらの造り酒屋に出会う。

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 毎度毎度、ふらっと入ってみたい誘惑に駆られるのだが、こういう時は車は不便である。試飲せずに買うだけだと味気ない。それに会社の健康診断でγ-GTPの数値が高かったので、最近は飲酒を控えている。そんなわけで通り過ぎてしまうのだが、なんだかせっかく来たのにもったいないような気もする。

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 蔵造りの町並みは、表通りの華やかさとは裏腹に、裏道は閑静である。

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 表通りはお客様を迎えるよそ行きの顔だが、一歩中に入ると、そこは普段着の生活空間である。

 
 

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茅葺屋根の宿場町

 会津西街道の宿場町、大内宿へ。

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 街道沿いには茅葺の民家が等間隔で並んでいる。

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 幹線道路から外れていたため再開発されず、江戸時代の宿場の様子を現代にまで残すことになった。

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 早朝であったが、観光客がちらほらと散策していた。日中は人であふれかえるようである。

 
 

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ぼんでん

 前日の雪もやみ、冬晴れの朝。2月17日は横手のぼんでんの日である。

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 重さ30キロとも50キロともいわれるぼんでんを、交代でかついで市内をねり歩き、山の中腹にある旭岡山神社へ奉納する。

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 重さに耐え切れず、ぼんでんごと倒れる。熱気が湯気になって立ち昇っている。興奮した若い衆が喧嘩を始める。

 熱いぜ、ぼんでん!

 
 

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翌朝

 翌朝、駐車場のフィガロ君を見に行くと…

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 雪に埋もれていました。

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 バス停も埋もれていました。

 
 

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かまくら祭りの夜

 夜になると、かまくらにろうそくの火が灯される。

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 ミニかまくらも多く作られ、ろうそくの優しい灯が彩を添える。

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 かまくらの中ではモチを焼き、甘酒とともにふるまわれる。

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 水神様を祭るこの祭り、観光行事化しているとはいえ、今後も廃れないでほしいものだ。

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 祭りも終わり、雪国の静かな夜。

 
 

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正真正銘本物の雪国

 秋田県横手市、正真正銘本物の雪国である。

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 なによりも驚いたのは、一日中雪が降り続いていることである。そしてそれが当たり前のことになっていることである。

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 これでも今年は雪が少ないほうなのだそうだ。

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 街のあちらこちらにかまくらが作られていた。

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 今夜はかまくら祭りである。

 
 

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フィガロ君、東北へ行く

 かまくらを見に、フィガロ君に乗って秋田県横手市へ。

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 秋田道に入ったとたん、前がよく見えないくらいのすごい雪。

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 錦秋湖SAにて、周りは雪しか見えません。

 
 

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網走

 網走といえば、刑務所、網走番外地、雪深い最果ての地、あまり明るいイメージではありませんね。

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 私は、冬の間ずっと雪が積もっている街に行くのは初めてなので楽しみにしていました。雪が積もると、普通の街でも美しく見えてしまいます。

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 除雪も慣れたもので、車道も歩道も問題なく通れました。積み上げられた雪に酔っ払ってダイブしたらカチカチに凍ってましたけど。

 
 

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生存競争

 北浜の白鳥公園へ。

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 白鳥って優雅そうに見えるけど、鳴くとうるさいですね。

 売店で売っていた鳥のえさを投げ込んでみると…。

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 鳥たちの世界にも激しい生存競争が。

 こすっからいカモメ、マイペースのカモ、えさが取れずに切れる白鳥。

 白鳥って、どんくさくて、すぐ切れるんですね。

 
 

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北の海の恵み

 北海道旅行中に食したものの中から。

 なんといってもまず真っ先に食べたのが、ウニイクラ丼。

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 北海道といえばこれでしょう。とはいえ、昔ほどウニもイクラも大好物というわけではなくなってしまったので、感激もそこそこでした。

 北海道産の生牡蠣。

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 厚岸産の生牡蠣です。内地で食べる牡蠣よりも濃厚な味わいで、身がプルプルしていました。

 焼ウニ、珍しい食べ方です。

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 なんだかもったいないような気もしますが…。

 北海道といえばラーメン。

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 具が多すぎて麺が見えません。魚介の出汁がたっぷり出ていました。

 海の幸なら、なにを食べてもハズレなしです。

 
 

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大地の果て

 ウトロ、知床半島のオホーツク海側海岸線の真ん中くらいにある街である。

 最北の地でも最東の地でもないが、最果ての地と呼ぶのにふさわしいところである。

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 ここより先は人の住む場所ではなく、神々と動物たちの地である。

 
 

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 雪が積もることなどめったにない地方の出身であるので、雪で埋もれた風景は斬新である。

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 なんだか人間界の汚いものをすべて浄化してしまったかのように美しい。

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 うれしくなってこんなこともしてしまいました。

 
 

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